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Vol.1 山根 基世さん

更新日:2018年6月28日

その淡々として落ち着きのある語り口に、幅広いファンを持つ山根基世さん。
現在はNHKアナウンス室長として、全国500人のアナウンサーを率いるお立場でもあります。
ことばのプロフェッショナルである山根さんのお話には、 「ことば」に対する熱い思いが込められていました。

金平
私は「新日曜美術館」が大好きでずっと拝見しておりましたので、山根さんのことは身近に感じておりました。今日はこうしてお目にかかれてとても光栄です。
今はNHKアナウンス室長として大変なお立場ですね。
山根
私自身は、一アナウンサーとしてずっと生きていくつもりでしたので、室長になるなんて思いもしませんでした。局としても改革の嵐のなかでの判断だったのでしょうけれども、打診されたときは本当に驚きました。
この6月で2年になりますが、今はやってよかったと思います。
金平
そうおっしゃるのを聞けて、とてもうれしいです。
山根
アナウンサーというのはある種専門職ですから、ともすると自分ひとりの力でやっているような気になりがちです。組織全体を見渡せる立場になってみると、決してそうではない。NHKでは行政職と呼んでいますが、組織を動かす側の人たちが、見えないところで、どれだけ自分たちのことを思い、支えてくれているか。それによって、自分があれだけ気楽にアナウンサーとしての仕事に集中することができたのだということに、改めて気づきました。
金平
山根さんは、女性として初めての室長でもありますので、その点でのご苦労もおありでしょうね。
山根
常に「女性初」の肩書きを張り続けてこられた金平さんを前に申し上げるのは僭越ですけれども(笑)。NHKは、いまだに全職員に占める女性の割合が1割程度の「男社会」です。私が若い頃に味わった、女であるがゆえに思い通りにならない番組作りに対する思いであるとか、会議で発言しても自分の意見が通らないもどかしさをどう乗りこえてきたかを伝えていくことで、今必死にがんばっている女性たちが、ほんの少し、1ミリでいいから楽に生きられるヒントになれば、という思いがあります。
金平
決定の場に女が入れなかった時代が長かったですね。私が勤めていた都庁も、管理職試験こそ、名前を消して採点する「男女平等」でしたけれど男性の試験官から、「あなた、男の上に立つんですよ。」なんて言われて、悔しい思いもしました。会議のしきたりも知らず、物事は会議の場で決まると思い込んでいたのに、どうもそうではないらしい、要するに「歴史は夜作られる」ということも、気づいたのは管理職になってからでした(笑)。
山根
そうなんですよ、そうらしいんですよ(笑)。そんなことも知らずに、会議の場で思ったことをじゃんじゃん話していたら、それがとんでもないお馬鹿さんだったことを後で気づいて、ずいぶん恥かしい思いをしました。
金平
今は時代も変わりましたが、これからの女性たちは、若いうちから組織のしくみを知り、自分の思いをきちんと表現できる力を持つことが必要ですね。
山根
本当にそう思います。社会にせよ組織にせよ、「ことば」によって動かすことができるわけですから、会議に限らず、ことばの力を磨いて、自分の思いを表現できることが、人間が生きていくうえで欠かせないことだと思います。
私がアナウンス室長になったときに掲げた目標のひとつが、話しことばのプロフェッショナルであるNHKアナウンサーだからこそできる社会貢献をしたいというものでした。今、子どもたちが一瞬の激情に駆られて、取り返しのつかない事件を起こしていますが、背後には、子供たちの、ことばによるコミュニケーション能力の不足があると言われています。NHKのアナウンサーは、放送開始以来80年余り、日本の話しことばを担ってきました。ことばによって人とかかわることはこんなに楽しいんだということを私たちが知らせて、人間を信頼できる子どもたちを育てていければと思っています。
金平
とても素晴らしいことですね。
山根
ささやかなアナウンサーの社会貢献にすぎませんが、そういうことが言えるのも、私が室長という「立場」になったからこそだと思うんですね。自分が思いを伝えれば、こうやって組織が動いてくれるんだ、それは私にとっては大変な驚きであり、今まで経験したことのない、ある種のやりがいです。
金平
それは、単なる肩書きとか権力ということとは違う、組織の役割分担の中での「立場」があるからこそできることなんですよね。今までと同じことばでも、立場が変われば、重みや影響力が違ってきます。
山根
全国津々浦々で、地域ごとの課題とも向き合いながら、徐々に番組作りが始まっています。5年10年かかっても、できるかできないかの大仕事ですから、後輩たちには、種は蒔いたからあとはみんなが育てていってね、と言っています。
金平
いまのお話を伺って、副知事になったときのことを思い出しました。都庁のエレベーターで、たまたま若い職員と2人だけになったときに、「金平さんが発言してくださったことによって、こんなことが改善されました。」と言われたんですね。今になって思えば、何も特別なことを申し上げたわけではありませんが、副知事という「立場」だからこそ意見を述べることができ、そして周囲が受け止めてくれたのだと思います。
山根
うれしいですね。そういうことも、「立場」に立たされてみないとわからないことですね。若い頃はまさか自分のことばで上の人間が励まされるなんて思わないですから。やはりそういうところでも、ことばの大切さを感じます。日本人は、自分が発言してもどうせ何も変わらない、というあきらめがあるように思います。そうではなくて、思いをことばにして声を上げることが、世の中を変える力になり得るんだという、「ことばの力」に対する信頼を持つ市民が大勢出てこないと、世の中はよくならないと思います。
金平
自立した、考える市民があってこそ、法律や制度が生かされるし、改善すべきところがあれば、それを変える原動力になるはずです。やはり世の中はことばありきなんですね。
法テラスには、長い間悩んで、やっとの思いで法テラスに「ことば」を発してくださったんだろうなと思われる、深刻な相談が数多く寄せられます。生きるための力が欲しくて、法テラスを利用してくださっている方もいらっしゃるでしょう。われわれは、単に「ものごと」の解決をするだけではなくて、トラブルを抱えた「ひと」を念頭に置きながら道案内することを、肝に銘じていかなければならないと思いました。ぜひ、「こんなこと」と思わないで、法テラスにことばを発していただきたいと思います。
山根
そういう気持ちで受け止めてくださるのは、市民としてはとても心強いですね。法テラスが、市民生活の「駆け込み寺」として定着することを願っています。
金平
今日はとても楽しいお話、貴重なご意見をお伺いすることができました。ありがとうございました。

金平理事長と山根さんとの対談風景

プロフィール

ゲスト:山根 基世(やまね・もとよ)さん

山根 基世(やまね・もとよ)

1948年
山口県防府市生まれ。
1971年
早稲田大学文学部英文学科卒業後、NHK入局。
1974年
大阪放送局勤務を経て、アナウンス室(東京)勤務。
2005年6月から
「ニュースワイド」「はんさむウーマン」「新日曜美術館」などの番組を経て、アナウンス室長。2005年大晦日には紅白歌合戦の総合司会を担当した。

日本司法支援センター理事長:金平 輝子(かねひら・てるこ)

金平 輝子(かねひら・てるこ)

1927年
生まれ。
1950年
東京都入庁。
1981年
東京都福祉局長。
1991年
東京都副知事。
2006年4月から
日本司法支援センター理事長。
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