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弁護士避難のしんがりを務める(スタッフ弁護士OB 加畑貴義弁護士)

更新日:2019年6月4日

多摩の森綜合法律事務所 加畑貴義弁護士

 

OBの加畑貴義弁護士にインタビューしました!

加畑弁護士は、東日本大震災が起きた当時、スタッフ弁護士として法テラス福島法律事務所で執務しており、原発事故後で放射線量が上昇する中、被疑者国選に対応するため、福島市内にとどまり弁護活動を続けました。現在は、他のOBらと立川市で法律事務所を営み(多摩の森綜合法律事務所)、同事務所はスタッフ弁護士の養成先となる法律事務所としても登録されています。加畑弁護士に、原発事故当時の様子や、スタッフ弁護士の養成に対する思いを聞きしました。

 

Q 東日本大震災が起きたときの様子を教えてください。

―― 3月11日は金曜日でしたから、地震が起きた14時46分には事務所にいました。一緒にスタッフ弁護士として働いていた頼金大輔弁護士も、事務職員も、全員が事務所の中にいました。大きな揺れで、すぐにデスクの下に隠れました。揺れが収まり、建物の外に出ました。帰宅困難な職員をどうするか、食糧をどうするかなど、いろいろな問題はありましたが、電気は通っていたし、幸いにもケガをした職員もいませんでした。ニュースで津波のことを知り、沿岸部の被災者支援に行かなければと考えていました。

 

Q 原発事故のことを知ったのはいつですか?

―― 震災の翌日の土曜日だったと思います。3月14日月曜日に、法テラス福島は1週間業務を停止し、職員は避難することが決まりました。そして、翌15日の午後から福島市内の空間放射線量が急激に上昇し始めました。弁護士会も閉鎖され、市内の弁護士たちも次々に避難を始め、私と頼金弁護士も危険を感じて避難の手段を調べ始めました。

 

Q そのような中で殺人事件の被疑者国選の依頼がきたのですね。

―― 3月14日に相馬市内の主婦が寝たきりの義父を殺してしまった事件です。17日に勾留され被疑者国選対象事件となりました。法テラス本部からの電話で、自分たちの他に受け手となる弁護士が見つかりそうにないと言われました。殺人のような重い事件で弁護士のアドバイスなく取調べに臨んでしまったら、本人がどのような不利益を被るか分かりません。一方で、高い放射線のもとで、警察署へ接見に通うことへの恐怖も募りました。頼金弁護士と向き合い、「やるしかない」「弁護士避難のしんがりになろう」と、福島市内に残り事件を引き受ける覚悟を決めました。

 

Q 避難しないことは家族に伝えましたか。

―― 私も頼金弁護士も独身だったので、離れて暮らす両親やごく親しい人に伝えました。私の両親は心配しながらも「じゃあ頑張れ」と言ってくれました。

 

Q 弁護活動はどのように行ったのでしょうか。

―― できる限り被爆量を減らしたかったので、雨合羽を着て、車で毎日警察署へ接見に行きました。当時は福島県内にガソリンが搬入されておらず、いつ入ってくるかも分からない状態でした。本当に避難しなければならなくなった時のために、頼金弁護士の車にはガソリンを温存して、私の車を交互に使っていました。

 

Q 他にも事件が発生していますね。

―― はい。介護が必要な高齢の母親と心中しようとした男性が、殺人未遂で逮捕され、被疑者国選として受任しています。前の事件を受けた2週間後のことです。いずれの事件も、原発事故による混乱や生活不安が引き金となっていたため、「事故がなければ」と思うと胸が痛みました。福島県内には、若手や女性の避難を優先させたベテランの弁護士が残っていました。裁判員裁判対象で毎日のように接見が必要な事件は、私と頼金弁護士が引き受け、そうでない事件はベテランの方々が引き受けるなど、協力して対応に当たりました。弁護士は大半が自営業ですが、その活動の中は、国選弁護のように国の制度として市民に対して義務を負っているものがあります。異常事態が起きたとき、公的な存在としての側面も持つ弁護士がどのように活動すべきかを考えさせられた出来事です。当時の私たちの活動については、朝日新聞特別報道部編著「プロメテウスの罠7」(株式会社学研パブリッシング)に詳しく紹介されています。そちらも是非ご覧ください。

 

Q 福島での任期を終えて、2013年に立川市で独立されていますね。

―― 私は日野市の出身で、元々公設事務所や公益活動に興味がある一方、「やがては地元で独立したい」とも思っていました。就職活動中に、当時の法テラス本部のリクルート担当から「弁護士として修行するなら、うちにおいで!独立する実力がつけられるよ」と言われて、スタ弁になることに決めました。そのため、スタ弁の任期後に立川で独立することは、私の中では既定路線だったのです。任期を一度延長するかどうか迷いはしましたが、自分の年齢などを考えて、独立を選びました。原発事故の被害に遭った方々の支援は続けたかったので、損害賠償を請求する弁護団の活動は今も続けています。

 

Q スタッフ弁護士としての活動を振り返ってどのように感じますか。

―― 静岡県内の事務所で1年間の養成を受けて、福島県で3年半勤務しました。この間、様々な事件を扱って経験を積んだことで、何にも動じない度胸がついたと思います。とても充実した時間でした。全国にスタ弁の仲間がいて、ネットワークが築けたのもスタ弁ならではのことだったと思います。特に弁護士1年目の苦しい期間を一緒に歩んだ同期の仲間の結束は強く、今もスタ弁を続けているものも含め、頻繁に顔を合わせています。

 

Q 養成事務所として登録しているのは、どのような思いからですか?

―― 多摩の森綜合法律事務所は、もともと私が一人で始めた事務所ですが、期の近い仲間が次々と合流して現在は私を含めて5人の弁護士が所属しています。そのほとんどが元スタッフ弁護士や公設事務所出身者で、自分たちが先輩に育てられ、送り出されてきた経験があります。そのため、「育てなきゃだめだよね」「ここから送り出せたら楽しいよね」という感覚を共有していました。残念ながら今のところ養成する一年目の採用には至っていませんが、熱い思いを持った弁護士ばかりです。若手ばかりでわちゃわちゃ楽しくやっているので、一度覗きに来てください。

 
※写真1・2枚目、左が頼金弁護士、右が加畑弁護士。3枚目は、多摩の森綜合法律事務所の方々との写真で、後列中央が加畑弁護士です。

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