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弁護士経験を生かして研究職へ

更新日:2021年5月31日

信州大学准教授 弘中 章 弁護士(スタッフ弁護士OB)

スタ弁OB・OGは、法テラス卒業後も各方面で活躍しています。
 開業したり企業に入ったり、自治体の専門官になるなど、弁護士としての活躍はもちろん、国家公務員として法制立案に関わる、弁護士任官で裁判官に、福祉現場の職員になるなど、スタ弁経験を元に他分野に転身する方も沢山います。
 弘中弁護士は、法テラス松本法律事務所で勤務した後、東京の公設事務所で弁護士業務をしながら大学院に入りなおして学位を取得し、現在は信州大学で教鞭をとっています。
 そのキャリアについてお話を伺いました。

弘中弁護士

Q1 現在のお仕事の内容を教えてください。

 東京・池袋を拠点に弁護士活動をしながら、2020年4月から信州大学経法学部で常勤教員として働いています。今は、弁護士登録を維持しつつ、法学の教育・研究にも関わっています。教えている科目は主に民法で、民事裁判などの実務系授業の担当も期待されています。
 研究分野は労働法で、公務員法にも関心を向けつつ、官民の労働者(「勤労者」)保護制度の比較という視点をもって勉強を続けています。常勤ですので、普通の大学の先生と同じで、授業やゼミの担当のほか、大学運営業務にも関わります。

Q2 弁護士業務も引き続きされているのですね。どのように両立させているのでしょうか。

 長野県松本市と池袋を往来していますが、それなりの距離があります。特に授業期間中は、体力的に厳しいので、最近では、できるだけ弁護士用務をまとめるようにしていて、2週間に一回程度の頻度で、弁護士事務所に行っています。
 慣れたとはいえない現在は、様子を見ながら働いています。両立困難とならないように、弁護士業務はやや抑え気味です。
 受任事件は、できるだけ、所属事務所の別の弁護士と共同で関わるようにしています。
 刑事弁護のように緊急性の高いものは、取り扱っていません。
 このような活動を許容してくれている事務所と大学には感謝しかありません。

Q3 研究者の道はもともと考えていたのですか。10年弁護士をやってから、というのは回り道だったのはないですか。

 それにお答えするには、今に至る経緯を少しお話ししたほうがいいかもしれません。私は学部学生時代、法学部でしたが、比較政治(史)のゼミに出ており、もともとは政治学系での研究者志望でした。なんとなくですが研究者養成の大学院に進学したいと思っていて、友人にも研究者志望の学生が多かったです。
 ただ、私の場合、大学4年時に進路について悩みすぎて、大学院入試の面接で失敗してしまいました。職業として勉強を続けることの大変さを実感して、自信がなくなってしまったのです。一度は社会にでてみようというのが当時の気持ちの切り替え方でした。そこで一念発起して法律を一からやり直すことにし、その頃設立された法科大学院に一期生として入学しました。
 運良く弁護士になってからは、目の前の仕事をこなすのが精一杯の毎日が続いていました。ですが、働き始めると、忙しい毎日に追われつつも、研究活動というか、ちゃんと勉強を続けていくことへの欲求が強まってきて、弁護士をしながらでも、一度は学術的な論文を書いてみたいと思うようになりました。

 そこで、2016年4月に一橋大の社会人大学院の修士課程に進学することにしました。
 専攻は労働法です。労働分野では、労使間の力学による独特のダイナミズムがあり、政治学を勉強していた自分の関心を引きました。司法試験の受験生時代から、いつか弁護士になれたら労働法をしっかりやっていきたい、と思っていました。
 一橋にしたのは、法科大学院で労働法を教わった先生がそちらの社会人大学院に移籍されていたのを知っていたからで、いつか働きながら先生のもとで勉強できたらいいなと思っていました。

 他方、大学院に進学するとなると研究テーマが大切ですが、弁護士として働くことを通じ、研究したいテーマを見つけることができました。法テラス松本時代に取り組んだ労働事件で直面した問題が、学問的にも意義のあるものではないかと考えました。これが「非正規公務員」の雇止めを巡る問題なのですが、このテーマで論文を書こうと決めました。
 私の場合、学生時代に研究者を一度夢見て諦めた経験があるわけですが、弁護士として働く中で、もう一度研究に挑戦してみたいという気持ちが芽生えました。その最大のきっかけは、裁判を通じて研究の素材を見つけることができたことにあります。弁護士として働く経験を重ねる中、学生時代に抱いた漠然とした希望が強いものに変わっていきました。
 2年間の修士課程では、弁護士業との両立が大変でしたが、同僚弁護士に助けられつつ、大学に通い、時間を見つけて何とか修士論文をかきあげました。修士論文によって、もやもやしていた疑問に対して、自分なりの結論を出し、一定の満足感が得られました(『「非正規公務労働」に関する法的考察~期限付公務員の更新打切りに対する法的規制を中心として~』2018年1月提出)。

 一歩踏み出したことで、世界がだんだんと広がっていき、これに不思議な縁が加わり、今回の大学の職につながりました。
 回り道だとは全く思っていません。今、法学の研究をしてみようと思えるのは、弁護士として日々がむしゃらに働いてきた経験があるからですし、大学教員への就職も、弁護士として活動してきたことで生まれた人のつながりがなければありえませんでした。

信州大学正門の写真


信州大学正門


Q4 そもそもなぜ法テラスのスタッフ弁護士に?

 私は、学部時代に進路選択に悩み、結果として弁護士を目指すこととなりました。とにかく社会に出たいという一心で法科大学院を出て、何とか司法試験に合格しました。受験時代は、社会に出たいという気持ちばかりで、どういう弁護士になりたいか、そこまで具体的には決めていませんでした。
 ただ、漠然とでも弁護士になりたかったのは、弁護士が誰かの代理人を務める仕事だったからです。自信がなくなってしまった自分でも、自分ではない誰かのためなら、一生懸命に働ける気がしたのです。

 それでは、弁護士のなかでも法テラスのスタッフ弁護士になったのはなぜか。これまた漠然となのですが、「公益に関わる弁護士」という存在に興味をもったからです。
 私は、研究者を目指して政治学や社会学のゼミに出て結構真剣に勉強していたのですが、それは、国家や、それが持つパワーであったり、「公共性」に関わるもの、あるいは「社会的なもの」に関心があったからです。私は、もともと「個人」だけでは説明のつかない存在にも興味があったのだと思います。当時は、経験を伴わない頭でっかちなところがありましたが、法テラスや公設事務所で働くと、弁護士として依頼者という個人のために活動しながらも、これを通じて何か公益的なものに関わっていけるのではないか、という直感がありました。
 抽象的な動機は以上のとおりですが、最終的には、人とのつながりです。具体的な弁護士像を描ききれなかった私は、修習生時代も就職先にあれこれ悩んで、様々な地域の様々な法律事務所を訪問しましたが、あるとき、法科大学院の同期から、大手事務所が公設事務所赴任弁護士を採用しているのだが、このたび追加募集をすることになった、という話を聞きました。私は、先端的な企業法務を扱う事務所が公設事務所赴任者を養成するとはおもしろそうだと思い、これに応募しました。
 養成期間は1年と短いわけですが、事務所の内外で、たくさんの弁護士と一緒に仕事をさせてもらいました。今から思えば、非常に希有なことで感謝しています。今でも謙虚に頑張っていこうと思えるのは、実力のある様々な弁護士の仕事ぶりを垣間見ることができたからだと思います。

 私の場合、漠然とした希望と偶然が結びついて、「法テラス」「公設事務所」で働くようになったということです。法テラスで働いたことは、弁護士として歩み始めるための一つのきっかけにすぎなかったと思いますが、それを通じて、多種多様な弁護士のネットワークに飛び込むことができたのは確かです。その多様さは当初の予想を超えるもので、法テラスや公設事務所に飛び込んでみようと思わなかったら得られなかった大きな財産です。今振り返っても、本当に運が良く、ありがたいことだと思います。

Q5 スタ弁の経験は今のキャリアにどのように影響していますか。

 今お話をした人的ネットワークが、その後の私の弁護士人生を形づくってくれましたから、スタ弁の経験の影響は大きいとしかいいようがありませんが、特に、私にとって法テラス時代が大切に思えるのは、その時代に自分なりの仕事との向き合い方、仕事に対する姿勢が作られたからです。
 法テラス松本時代は、弁護士一人で仕事をしていました。養成中の1年目は多人数弁護士の事務所に勤務し、ただただ翻弄されたというのが正直なところですが(笑)、そのときの経験を糧に、今度は、全て一人で仕事をしなければならなくなりました。
 同期の弁護士、地域の弁護士、法テラスの支援室などに相談することはしますが、最終的には自分で判断します。悩みはつきものです。ですが、1つずつ悩みながら仕事することを通じて、自分なりのやり方ができてきました。それは、仕事の技術面だけでなく、仕事に向き合う姿勢でも同じです。

 私が体得した仕事に対する姿勢とはどんなものか。
 私がスタッフ弁護士として働いて良かったと思うのは、目の前の個人と丁寧に向き合って仕事ができた点です。スタッフ弁護士として関わる仕事は、世間的に見れば、地味なものが多いと思います。メディアで報道されるような大きな事件に出会うことはほとんどありません(それでも、地域で話題になる事件に関わることはそれなりにありましたし、全国的にも報道される大変な裁判を手がけることとなった同期の弁護士がいるのは、この仕事の不思議なところだと思いますが)。金額の小さな事件を沢山こなしていく状況になることも多いです。ですが、私の場合、目の前の個人と丁寧に関わる中で、その「小さな」事件にこそ、弁護士の仕事の醍醐味があるのではないか、と感じるようになりました。依頼者それぞれの人生、また非常に個人的な世界に「社会」が見えてくる、そんな貴重な瞬間を興味深く感じられるようになりました。
 だから、私は、目の前にいる個人を常に大切にしたい。日々忙しく、そんな余裕を失うこともあるから、偉そうなことはいえませんが、その基本的な姿勢を法テラス時代に学ぶことができました。そのおかげで、今に至る私の弁護士人生が流れ始めたと実感しています。

Q6 スタ弁時代の思い出など

 地域の皆さんとの出会い、日常の暮らし、北アルプスの雄大な山なみなど、思い出がつまっています。
 そうした中で、あえてあげる出来事があるとするなら、それは、さきほどお話した研究テーマを見つけるきっかけとなった裁判です。詳しい内容は、『弁護士っておもしろい!』(日本評論社、2017年)という本に書く機会をいただいたので、そちらを読んでもらいたいのですが、この事件は未解明の法律問題を含んでいると思っています。修士論文のアイデアの源になっていますし、現在も、私に、考える素材を提供してくれています。

研究室棟からの景色の写真


研究室棟からの景色


Q7 今後の予定や展望など教えてください。

 大学の常勤教員として働き始めた以上は、研究も教育も、自分ができることを精一杯やっていこうと思っています。他方、弁護士としても研鑽の途上ですから、二足の草鞋を履くなど不遜な面があると思いつつも、弁護士としても精進を続けていきたい、簡単には両立を諦めずに努力を続けていきたいと思います。
 大学では、研究者としてのキャリアがある方にはかなわないと思うことも多いですし、今さら私に何ができるだろう、と不安に思うこともあります。ですが、実務家ならではの視点を活かしつつ、私なりの方法で何らかの学問的な寄与ができればという思いを強く持つようにしています。志は高く、授業の準備や論文の投稿など、自分のできるところからコツコツやっていくつもりです。
 今後、描く理想について、具体的なイメージをお伝えするとすれば、医師のキャリアのあり方が1つのヒントです。医師の世界では、大学病院に勤務するキャリアパスが確立されています。臨床に関わりつつ、そこで出会う問題について研究発表を積極的に行う先生がいます。弁護士の世界でも、同じような働き方があっていいはずです。要は、実務で研究のネタを見つけて、これを素材に物を考えていくという方法ですが、このようなスタイルを追求してみたいです。
 本来、「研究」とはおもしろいもので、大学という空間が、実務家にも、もっと開かれていいのではないかと思います。そのために、試行錯誤しつつも自分が置かれた機会を最大限生かして、1つの実践例を作っていければいい、と思います。
 ちなみに、現在の研究課題の1つは、災害補償の分野での官民間制度比較です。法テラス退職後、過労死や過労自殺の問題に関わるようになりましたが、関心のある公務員法分野での問題意識を取り入れつつ設定した研究課題です。結果が出せるかはわかりませんが、何らかの整理ができるように頑張っています。外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-20K22052/2020/(外部サイト)

Q8 これまで養成スタ弁の指導担当をされたり、赴任スタ弁向け研修の講師もされていますね。後輩に向けてのメッセージをお願いします

 法テラスの仕事では、いろいろな理由で弱い立場に置かれた方に関わることが多いと思いますが、スタッフ弁護士の醍醐味の1つは、どんな立場の人に対しても、弁護士としてできることがあるのであれば、採算をある程度は考えずに、ひたむきに弁護できる、ということだと思います。そういう環境にあるということを常に意識していただいて、目の前の人に真摯に向き合い、受任事件には全力で取り組んでほしいと思います。
 そうして、日々、一生懸命仕事をしていると、不思議と、興味深い事件に巡りあい、ライフワークといえるようなテーマに出会うこともあるのだろうと思います。事件が解決すれば依頼者からの感謝だけでなく、自分なりの発見があり、多様な充実感が得られるはずです。私の場合も、事件を通じて、現に社会に存在する問題を知り、それが学問的な契機となり、次の人生の扉を開きました。
 私が働いていた時期と今の皆さんとでは、職場環境等の違いもあると思いますが、個人の尊厳と向き合った弁護活動ができるという、スタッフ弁護士の醍醐味と理想型は変わらないと思います。そして、目の前の人に役に立つには、学び、成長をしていかなければならないのも事実です。ですから、研修等の環境をフルに生かして、自分を高め、依頼者や社会のために貢献できる人間になっていただきたいと思います。
 以上は、全ての弁護士にあてはまることですが、理想をとことん追求できるという現場はそう多くはないかもしれません。スタッフ弁護士になった以上は、これを1つのきっかけとして、自分の理想に向かって頑張ってみてください。

松本キャンパス内にある旧松本歩兵第五十連隊 糧秣庫(国登録有形文化財)

松本キャンパス内にある旧松本歩兵第五十連隊 糧秣庫(国登録有形文化財)


弘中弁護士のプロフィール(池袋総合法律事務所ホームページより抜粋)
山口県宇部市出身
東京大学法学部第三類(政治コース)卒業
東京大学法学部第一類(私法コース)卒業
九州大学大学院法学府実務法学専攻修了
一橋大学大学院国際企業戦略研究科修士課程修了(2018年3月)

2007年    司法研修所入所(新61期)
2008年12月  弁護士登録
2009~10年  森・濱田松本法律事務所
2010~13年  法テラス松本法律事務所
2013~19年  東京パブリック法律事務所
2019年~   池袋総合法律事務所
2020年4月~ 信州大学 学術研究院(社会科学系)経法学部 准教授

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