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スタ弁は「ひと」の玉手箱

更新日:2020年2月28日

法テラス本部犯罪被害者支援課長 冨田 さとこ弁護士(57期)

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 スタッフ弁護士として一般的に(といっても業界内で)イメージされる人物像は、「若い駆け出しの弁護士」だろう。身近なスタ弁のいる人にとっては、ここに「元気な」とか、「刑事弁護が好きな」とか、「高齢者のために走り回る」とか、あるいは、「飲み会が大好きな」などといった形容詞がつくのかもしれない。確かに多数を占めるのは、20代後半から30代の若い弁護士だ。

 でも、そっと覗いてみてほしい。実は様々なバックグラウンドを持った人がいる。会社員経験を経た人、元裁判官、一般弁護士としてのキャリアを持つ人(※1)、障害を抱える人、子どもを連れて単身赴任をしているお母さん。多様な人がいるからこそ、多様な意見が生まれ、より多くの人の手に届く司法を実現できる。制度開始当初と現在では、スタ弁の「多様性」のあり方も変わっているが、共通するのは、立場もバックグラウンドも異なる弁護士たちが「スタッフ弁護士」という共通項のもとで忌憚なく意見を交わしていることである。

 スタッフ弁護士制度一期生の頃の多様性の筆頭といえば、神山昌子弁護士と宮本康昭弁護士である。神山さんは弁護士としては新人だったが、シングルマザーとして働きながら司法試験に挑むこと23回、法テラスが業務を開始した時点で還暦だった。旭川に赴任した神山弁護士は、DV被害者や被疑者・被告人のために、真っ赤な車で北の大地を走り回っていた。とても格好良かった。社会人経験のないまま弁護士になった私は、いつも彼女の利用者目線に学んでいた(※2)。

 他方の宮本弁護士は、「宮本判事補再任拒否事件」の当事者で、元裁判官。私たちにとっては、憲法の教科書に出てくる伝説の方だ。そんな人がどうしてスタッフ弁護士となったのか。宮本弁護士は、再任を拒否されてから「市民の司法」を実現するために弁護士として骨を砕いてこられた。現在も年齢を感じさせず、多摩地区で現役の弁護士として活動を続けながら、司法のあり方について発信されている(※3)。

 1990年代に司法改革が息吹をあげたとき、宮本弁護士は、自分の目指してきたものを実現する機会がきたと、日弁連の司法制度改革関連委員会の要職を歴任し、「批判活動から改革のための活動に転じた日弁連の司法改革運動の理論的、精神的支柱」(※4)として熱心に活動された。そして、常に当事者として改革を進めてきた宮本弁護士は、法テラスの業務開始をもって司法制度改革がひと段落したところで、登録1~2年目の若手とともに、現場のスタッフ弁護士となった。

 「司法を憲法と国民の立場に立つものにしたい」と思い続けてきた宮本弁護士はぶれない。まだ特定援助者法律相談制度もない時代だったが、法テラス多摩で、相談に来られない高齢者・障害者のために自宅を訪問して法律相談を行う活動を始めた。全く偉ぶらず、新人弁護士とともに重いカバンを抱えて、司法から一番遠い人のもとに足を運ぶ「生きる伝説」の姿を見るたびに、私たちは背筋を伸ばした。

 いまのスタッフ弁護士の多様性は、ロースクールを経た弁護士、すなわち司法制度改革が目指した「多様な弁護士」像を反映している。特に、民間企業に勤めた経験のあるスタ弁が増えている。彼らは組織人として働く厳しさを体験している分、弁護士として自分で決断し進むことの醍醐味と、そこから生じる責任の重さをシビアに受け止めているように思う。年に一度の全国経験交流会に引き続いて行われる日弁連及び法テラス本部とスタ弁との意見交換会を傍聴していると、社会人経験のあるスタ弁が、ともすると「業界のエゴ」にもなりかねない若手の意見に対して、厳しい反対意見を呈していたりして面白い。

 各地で活躍するスタッフ弁護士の中には、一般事務所で10年以上の経験を重ねたのちにスタッフに転身した人もいる。この人たちは、事業主としての責任から離れて、報酬の多寡を気にせずに「利用者第一」で事件に取り組める時間の貴重さを知っている。また、養成事務所を離れてこわごわと前に進む若い弁護士を見守り支えてくれている。

 日本社会は、かつてない「多様化」の波に直面している。畢竟、法律問題を抱える人も多様化する。そこで重要なことは、先入観を抱かずに、目の前にいる人の気持ちや背景に思いをいたすことである。若い弁護士にとって自分とバックグラウンドの異なる弁護士と働き、あるいは意見を交わすことは、そういった目線を身に着けるためにこの上ない機会である。令和元年の経験交流会には手話通訳も入っていた。スタッフ弁護士が更に多様化して、もっともっと様々な意見の飛び交う現場になってほしい。
 
 
 

※1 本サイト内「スタッフ弁護士の声」ページの「キャリア」欄にある中野聡弁護士「あのときの選択は間違っていなかった~スタッフ弁護士に転身して」など。
※2 神山昌子弁護士の詳細は、神山昌子著『苦節23年、夢の弁護士になりました』(いそっぷ社、2011年2月)参照。
※3 宮本康昭「司法制度改革の成果と課題」(日本評論社『日本の司法―現在と未来 江藤价泰先生追悼論集』2018年7月)など
※4 本林徹他編『宮本康昭先生古稀記念論文集 市民の司法を目指して』中、編者らの「はしがき」4ページより。宮本弁護士の活動と信念は、同著の第三部「基調講演」(宮本康昭)に詳しい。

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