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子どもとともに生きる弁護士の原点 2

更新日:2018年6月28日

社会福祉法人カリヨン子どもセンター理事長 坪井節子弁護士

ひとりの少年が教えてくれた -わたしにできること-

中学3年生の少年が、遺書を書いて大量の薬を飲んだのは、イジメが始まってから3か月後のことでした。私は、緊急治療で一命を取り留めた少年と出会ったときの言葉が忘れられません。

「死ぬのは何も怖くなかったよ。死んだら、僕の両親が悲しむだろうなって思った。
でも死んでしまえば、両親が悲しむところを見ないで済むんだ。
ねぇ、僕が80錠飲めば死ぬって書いてある薬を50錠飲んだ気持ちがわかる?
死にたかったわけじゃないんだよ。毎日毎日、地獄のように苦しかった。
あそこから逃げ出す道は死しかなかった。――だから、五分五分に賭けたんだ。」

大人としても弁護士としても、無力感と絶望感に打ちのめされました。ただ、少年の話を聞くことしかできませんでした。そんな私に、少年が言いました。

「子どもの話を、こんなに一生懸命に聞いてくれる大人がいるとは思わなかった。」

この言葉が、私の子どもとともに生きる弁護士としてのスタンスを教えてくれました。解決策は示してあげられなくても、話を聞いて一緒に悩む。そして、どうすればいいか分からない問題を前にしても、逃げ出さない。そういう弁護士になればいいのだと思いました。

ひとりの少女が教えてくれた -わたしのすすむみち-

10歳の少女は、壮絶な虐待の末に家を飛び出しました。でも、ひとりぼっちの少女を受け入れてくれる場所は、地元の不良グループだけでした。

「これを吸えば、嫌なことを忘れられるよ。」

孤独と絶望の中にいる幼さの残る少女は、差し出されたシンナーを吸うことしかできませんでした。そして、これが全ての始まりでした。家出、校内暴力、非行を繰り返し、ヤクザに拾われて覚せい剤を打たれ、売春をさせられたこともありました。

彼女が16歳のとき、私は付添人の弁護士として出会いました。大人に対する諦めと不信感をむき出しにする女の子を前にして、私にできることは、言葉をかけることだけでした。

「あなたは、生まれてきたことを誰も喜んでないと思ってるんでしょ。
でも、あなたの目の前にいる私は、あなたに生きていて欲しいって願ってるよ。
それだけは信じて。」

この少女との出会いを通じて、大人が虐待を受けた子どもたちに信じてもらうのは大変なことだと思い知らされました。私は、「お金は貸せないけど、弁護士として出来ることだけはするよ」と伝え、暴力を振るう男との関係を切らせたり、払ってもらえない給料を回収するためにキャバレーに行ったりしました。何もできない弁護士だけど、この人は逃げない、生きていてほしいと願っている。それだけは認めてもらえたと思います。

今、彼女は40歳を超え、結婚して4人の子どもと暮らしています。久しぶりに会った彼女から、こんな話を聞きました。

「近くの公園で中学生くらいの子どもがシンナーを吸っていたんだ。
私は傍に行って、シンナーの袋をとりあげて、「シンナーなんか吸うんじゃないよ」と言ったの。
そして、「お腹すいてるんならウチに来てご飯食べな」って言って、毎晩食べさせているんだ。
シンナーを吸う子どもの気持ちは、シンナー吸ったことがある私にしか分かんないよね。
私は坪井さんや少年院の先生に出会って、人間ってどんなもんか教えてもらった。
だから、だんだん人間らしくなった。
今は、自分と同じように苦しんでいる子どもに、私ができることをしてあげたい。」

初めて出会ったとき、何もかもがボロボロだった少女が、私にとって希望の星になりました。凄まじい経験をしてきた子どもに出会ったとき、目の前は真っ暗になります。でも、あの子が生きられたんだから、この子もきっと生きられる。そう確信できるようになりました。

この少女との出会いを皮切りに、日本には帰るところのない10代後半の子どもたちがたくさんいることを知るようになりました。そして、居場所がないから、非行、売春、自殺、自傷行為、犯罪行為へと深い闇に向かって走っていきます。この子どもたちのために、「子どものシェルターが欲しい!」という願いを持つようになりました。

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