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被災者起点を忘れない。“法律”が被災者のためにできること。-宮城県本吉郡南三陸町- 2

更新日:2018年6月28日

Q.震災直後からの職員の様子について

 職員は大変でしたね。職員自身も他の被災者の方々と一緒に避難所で生活をしていたので、ずっと同じ被災者からの非難にさらされている状態でした。特に避難所で物資の供給等を担当していた職員は休まる場所がなかったのか、通常業務に戻るとホッとしたと言う職員もいました。通常業務に戻った職員の中には避難所には戻らずプレハブの庁舎で寝泊まりする人もいました。仕事が終わってから避難所に戻っても真っ暗ですし、たまに家族に会いに避難所へ戻ると町民の方から質問攻めにあうんです。答えたくても答えられないこともあるので、葛藤がありました。その結果、仕事場に泊まるというパターンが多かったです。私は早々に通常業務に戻ったので、避難所担当の職員を引っ張り戻す立場でした。職員から「いつ引っ張ってくれるの?」と言われることもしばしばありました。
 現在、南三陸町役場には全国から派遣職員として100名ほど来ていただいています。それこそ南は鹿児島県から、北は北海道まで幅広い地域の方がいます。復興に関する業務は半分以上が派遣の方が担っています。復興事業を進めるにも兎に角マンパワーが足りません。特に漁業・水道・道路などの技術職は絶対数が不足しています。人員不足もあり、復興に向けた取組みになおどれだけ時間がかかるのかまだ先は見えません。仙台市では今年度いっぱいで派遣職員制度を廃止するという話がニュースに出ていましたが、南三陸町はこれからが勝負なので今、撤収されてしまったら大変なことになってしまいます。

Q.復興計画に関連した自治体の取り組みについて

 南三陸町の復興の柱は「住まいは高台に」です。住宅は高台に全部移転させ、新しい街を作ります。海の仕事をされている人は海の側に住む方が便利だけれど、職場は海の近くであっても住宅は高台になります。南三陸は今回が初めての津波ではなくて、過去にもチリ津波や昭和三陸津波、明治の津波など大きな津波を経験しています。「今度は津波が来てもそこには住んでいない!生業は様々であっても住まいは高台に」がコンセプトです。現在、取り組みは始まったばかりです。
 その中でも大きな事業が2本立てであります。1つはコミュニティーをそのまま高台へ移す「防災集団移転事業」です。防災集団移転事業というのは、入江に点在していた集落をそのまま高台移転させるというものです。基本的には元々あったコミュニティーをそのまま維持して高台で新たなコミュニティーを作ります。ご近所さんがそのまま変わらず、生活を営めます。ただ、ご年配の方々は新たに家を建てることが難しいです。そこで、もう1つの事業である「災害公営住宅」の建設が必要となります。
 災害公営住宅は平成25年11月時点で3か所建設に着手していて平成26年12月頃から入居できる予定です。やはり便利なところ、学校や病院、スーパーなどの近くは希望者が多く、海の入り組んだところは希望者が少ないです。地域優先も考えてはいますが、希望者が集中すれば抽選になってしまいます。抽選ではなく、できる限り皆さんの希望が通る形で実現したいと考えています。若い人は少々無理をしても家を建てたいという方が多く、災害公営住宅を希望される方はご高齢の方が多いです。そのため、災害公営住宅が高齢者向けの住宅になり、いびつな人口分布になってしまうのではないかと懸念しています。町では今のうちに何か手を打たないと、と話している最中です。


※震災法律援助業務による無料法律相談や弁護士・司法書士費用の立替については、「東日本大震災の被災者に対する援助のための日本司法支援センターの業務の特例に関する法律(震災特例法)」の失効により、令和3年3月31日新規申込受付を終了しています。

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